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NewPost 2021年発行

脇本雄太のプロフィール、経歴を紹介!競輪のトップ選手、妻はモデル事務所社長?

自転車競技で東京五輪、日本代表に内定している脇本雄太選手。

彼は自転車競技ナショナルチームの一員として国際大会に出場する一方、公営競技の競輪選手としても日本各地を転戦しています。

この記事では

  • 脇本雄太選手のプロフィール
  • 自転車競技者としての経歴
  • 奥様はモデル事務所の社長?

といった観点から、トップ選手である彼に迫ってみたいと思います。

プロフィール

脇本雄太(わきもとゆうた)

競輪選手/自転車トラック競技選手

生年月日 1989年3月21日

出身地 福井県

身長/体重 180センチ/82キロ

血液型 A型

出身校 足羽中 → 科学技術高 → 日本競輪選手養成所

60センチの太もも、99センチの胸囲、169キロにも至る背筋力・・・まるでヘラクレスのように鍛え上げられたその肉体で世界最高峰のパフォーマンスを魅せます。

競技者としての経歴

これだけの一流選手でありながら、自転車競技との出会いは遅いものでした。

中学時代は「科学少年」

地元の足羽中学校時代は何と「科学部」に在籍。学校の中庭にいる生物を観察したり、理科室で実験をしたりという放課後を過ごしていました。

本人も「どちらかと言えば、いじめられる方だった」と振り返っています。

中学卒業後はプロフィールでもご紹介した通り、福井県立科学技術高校へと進学します。

その理由も「科学が好きだったから」。

しかしここで人生の転機が訪れるのです。

友人に誘われ自転車競技部へ

高校で出会った自転車好きの友人の誘いで自転車競技部に入部します。担任の先生が自転車競技部のコーチだったこともあったようですが、当の本人は「サイクリングが楽しめるのかな」と、あまり深く考えていなかったようです。

しかし、いざ競技を始めるとその才能が瞬く間に開花!

自転車競技を始めてわずか1年、国体の少年1キロタイムトライアルで優勝を果たすのです。その翌年も同大会の同種目で頂点を極めます。

誰よりも喜んでくれたのはお母さんだったそうです。

「どんな状況になっても諦めてはダメ」と教えてくれた母の存在は、脇本選手にとってとても大きな存在でした。

世界一を目指してみない?

脇本選手にさらなるステップアップを決意させたのはそのお母さんの一言でした。

「日本一になったなら、世界一を目指してみない?」

この一言をきっかけに、脇本選手は自転車競技でのオリンピック出場という目標を定めたのです。

高校卒業後、日本競輪学校(現:日本競輪選手養成所)へ入学。これは「競輪選手をしながら大舞台を目指す道もある」と知っての決断でした。

二足のわらじ

「競輪」と「自転車トラック競技」は似て非なるものです。

最も大きな違いは「自転車」の違い。カーボン製の自転車を使うトラック競技に対して、鉄製の自転車を使う競輪。圧倒的に後者の方が重く、バランス感覚はまったく異なります。

もちろん必要な筋肉やトレーニング方法は似ています。ですがこの2つを高次元で「両立」させるのは並大抵のことではありません。

母との別れ

競輪と並行してオリンピック出場を目指している最中の2011年、最大の理解者であったお母さんを肝臓ガンで亡くします。

母に、世界一となった自分の姿を見せることは叶いませんでした。

それでも脇本選手の心は折れることはなく、2016年、リオ五輪でオリンピック初出場。このときは残念ながら13位と奮いませんでしたが、気力・体力・技術のいずれも完熟期を迎えた今年の東京五輪こそ、亡き母との約束を果たすときなのです。

奥様はモデル事務所の社長?

脇本選手は2018年に結婚しています。

奥様は麻里奈さん。

彼女は元レースクイーンで、現在はモデル事務所「MiiPR(ミープロ)の代表も務めています。

「柏木まりな」という名前で活動中のようですね。Twitter内にも脇本選手がちょこちょこと登場しているようです。

まとめ

競技を始めてわずか1年で日本一となり、今まさに世界の頂点までも視界に捉えている脇本選手。

類稀な才能と、それを裏付ける結果、そして綺麗な奥様・・・一見すると順風満帆な人生のように見えますが、背景には最愛の母の死や、似て非なる競技の両立といった辛く苦しい部分も抱えているのです。

数々の苦難を乗り越えた鋼の肉体を持つ日本のヘラクレスが、ライバルたちをなぎ倒して世界を統一するシーンを是非この目で見たいものです。