「%」が分からない大学生が増えているという、悲しい現実が垣間見られているとのことです。
税込みの代金が定価の1.10倍になることが説明できない、「2億円は50億円の何%か」が答えられない・・・などなど。
2012年、中学生を対象とした全国学力テストにおいて、10%の食塩水を1000g作るのに必要な食塩と水の質量をそれぞれ求めさせる問題が出題されましたが、正解率はたったの52%(正解は食塩100gと水900g)。1983年にほぼ同様の問題が出題された際の正解率は70%でした。
とある笑い話で「世界の人口のうち20%が中国人だと聞いた4人家族の奥様が、旦那さんに“あなた大変!私たち今度もう一人子供を作ったら、その子 中国人になっちゃう!”と言った」というものがありますが、この話の意味が分からない大学生がもしかしたら居るかもしれない・・・けっこうヤバイ話です。
この話の中の、おバカな奥様以下の知能ということになります。
これはもちろん日本人の学力低下という点において大変な事態ですが、それ以上に「%」が分からないというのは単純に「生きづらい」と思うんですよね。
「%」というのはご存知の通り「割合」です。数学や科学の中だけでなく、世の中の動向や自分が置かれた状況を「大まかに」捉えるという意味で非常に役立つ指標になります。
もちろん割合だけですべて把握できるわけではありません。サイコロを6回振ったらすべての目が1回ずつ出るとは限らないのと一緒です。
ただ、何かひとつのことを「大きな視点で」「客観的に」捉えるためには絶対と言っていいほど必要な要素になってきます。これができないと、自分が社会という大きな枠組みの中でまず何をすればいいのか、どの方向に向かえばいいのか、とても判断しづらいのではないかと思うのです。
これは先日、自ら進んで運転免許証を返納したある高齢女性の話です。高齢ドライバーが事故を起こす要因としてよく挙げられるのが「判断能力の低下」です。
その高齢女性にこう質問しました。「なぜ免許証を返納しようと思ったのですか?判断能力がなくなったと感じたからですか?」
―――するとそのご婦人はこう答えました。
「いえ、判断能力があるから返納しようと思ったんですよ」と。
これにはめちゃめちゃ感動しました。
この方は実に客観的に、広い視点からご自身の状況を分析し、このまま自分が車を運転していたら危険だ、と判断したのでしょう。素晴らしいです。
「な~んか最近 思うように体が動かないなぁ、まあでも大丈夫だろ。昨日も大丈夫だったし」と言って今日も車を運転している方は、もうその時点で判断能力が「ない」んです。運転技術どうこうではありません。
誰だって自分は可愛い、自分だけはちゃんとしている、と思いたい。ですがそれは残念ながら幻想です。
脳は20歳台をピークにだんだん委縮していきます。50歳あたりから徐々に認知機能が低下すると言われ、60歳台で委縮が顕著(5~10%減)になり、80歳台で10~20%も委縮します。
「%」の問題は「ただ単にその計算ができるか否か」だけでなく、数字で示された残酷なまでの現実を受け入れる強さを養う問題だと思うのです。(N)