駿河台大学を初の箱根駅伝に導いた徳本一善監督に注目が集まっています。
駿河台大の監督に就任してから10年目という節目に大きな目標を達成した徳本監督。
ご本人も元ランナーで、その走りだけでなく色々な面で話題を集めた人物です。
この記事では、そんな徳本監督の経歴やプロフィールに迫りながら、当時話題となったサングラスについても解説していこうと思います。
もくじ
徳本一善監督に関する皆さんの声
往年の駅伝ファンの間でもかなり印象深い選手であったことが伺い知れます。
現役時代の徳本監督はどんな選手?
それでは現役時代の徳本監督がどんな選手であったか、ご紹介していきましょう。
奇抜なスタイルで話題
徳本監督…と言っても当時は選手だったので徳本選手と表記しますが、彼を一躍有名にしたのはその奇抜なスタイルです。
文章で書くより実際の画像を見てもらった方が早いですね。↓
画像の中央が徳本選手なのですが茶髪にサングラス…箱根駅伝を走る選手たちの中では明らかに異質です。
この出で立ちは当時も大きな注目を集めていました。
ただの目立ちたがり屋ではなかった!
このような格好をしていると「何だ、ただの目立ちたがり屋か」と思われる方も多いと思います。
しかし徳本選手はれっきとした法政大学のエースでした。
1年生から早くも箱根駅伝に出場。
2年生時には1区を任され、スタートから一気に飛び出しそのまま2位以下に1分以上の差をつけて襷リレーをするという離れ業を演じます。
ついたあだ名は「爆走王」。
まさにその名に相応しいインパクトでした。
その後3年生時には
- 出雲駅伝で1区の区間賞
- 全日本大学駅伝で2区の区間賞
- 箱根駅伝でエース区間の2区で区間2位
こうして押しも押されぬ法政のエースとなったのでした。
あのサングラスはどこから?
ここで気になるのは「なぜあんな目立つサングラスをかけていたのか」という点です。
もはや「サングラス」かどうかすら怪しいときも…
↓こんな状態でインタビューを受けたこともありました。
いくら何でもこれはさすがに…と思う方も多いと思います。
自分からメーカーに売り込んでいた
「爆走王」はやはりやる事が違います。
ただ単に目立つサングラスを購入してつけていたのではなく、何とサングラスメーカーに自分を売り込んだのがきっかけだったそうです。
すごい積極性ですね。
そしてメーカーの担当者に「試しに箱根予選会でつけてみますか? 」と言われ、予選会ではレンタルのものを着け「爆走」。
そして本番での活躍を機に、サングラスを提供してもらえるようになったのだといいます。
そして訪れる悲劇
徳本監督の現役時代を語る上でどうしても外せないのが、彼が4年生時に出場した箱根駅伝での出来事です。
途中棄権
キャプテンを務めた4年時、徳本選手は2区で右ふくらはぎの肉離れを起こして途中棄権。
それはスタートから28.6km地点、箱根駅伝史上最短での途中棄権は世間から大きなバッシングを受けました。
「それ見たことか!」
茶髪にサングラス(しかも奇抜な)という選手が怪我で途中棄権…
「フザけたことやってるからそんなことになるんだ!」と、当時としてはまだ珍しかった誹謗中傷が彼の個人掲示板に吹き荒れたのです。
その経験が指導者として生きている
この出来事について徳本監督は
ストレスがかかってくると、耐性が強くなるじゃないですか。
許容量をオーバーしてネガティブに走る人もいるでしょうけど、でもそれをポジティブに変えられれば、打たれ強さになる。
僕はその打たれ強さが半端なく上がった。そういう意味では、僕がいろんなことを知ることができる環境が、陸上にはあったと思いますね
と話しています。
逆境をバネに経験として受け入れる精神力は、指導者となった今、大きな武器になっているのではないでしょうか。
その後、オリンピックを目指すも
大学卒業後は実業団選手としてアテネオリンピック出場を目指します。
しかし5,000mでオリンピックの参加標準記録を上回ることができず断念。
そして練習の無理がたたって2006年には膝を手術することになってしまいます。
その後も怪我に悩まされ、ついにオリンピック出場の夢は叶わず、2012年に引退をしています。
徳本監督の息子さんも凄い?
徳本監督には「徳本 陽(ひなた)」さんという息子さんがいます。
そしてこの息子さんも非常に将来有望なランナーのようです。
すでに進路に注目が集まる
徳本陽(とくもとひなた)選手は現在、東京農大二高校の一年生ですが、その進路にはすでに注目が集まっています。
父が監督を務める駿河台大学か?父の母校である法政大学か?はたまた他の陸上強豪校か?
その興味は尽きません。
納得の実績
注目が集まるのも納得の実績です。
都道府県駅伝2022の群馬県代表された他、トラック競技でも…
ご本人の才能もさることながら、父である徳本一善監督の指導が生きているのではないかと思います。
徳本監督の現役時代は実力も十分の爆走王!サングラスは自ら売り込み!
駿河台大を初の箱根駅伝に導いた名将、徳本一善監督の現役時代に迫ってきました。
あのインパクト大のサングラスのルーツについてもお分かりいただけたと思います。
選手としての晩年は怪我に悩まされ、思うような結果が残せなかった徳本監督。
しかしその夢は、陸上界期待の星である息子さんと、指導者として育て上げた選手たちがきっと叶えてくれることでしょう!