勝手に成長しない「文章力」
自分がこれまで書いてきた文章というのは、カテゴライズするならばコラムや雑記ということになるのでしょうか。
コラムや雑記を書くに当たってまず初めにつまずくのは「何を書いたらいいか分からない」という点だと思います。
でもこの悩みって小学生の頃の日記や作文と変わらないですよね。
子供の頃より今のほうが知っている言葉も表現も増えているのに、いざ書こうとしたときにぶつかる壁は「何を書いたらいいか分からない」。
これはつまり「文章を書く」という行為に対して人間はいかに成長しないか、ということです。
会話やコミュニケーション技術は勝手に向上しても、文章力というのは意識しないと向上することはありません。
実際に書いて書いて書きまくって、それを第三者に読んでもらって反応を伺いつつ、修正箇所を意識しながらまた書いて書いて書きまくってようやく成長する・・・結局は経験と場数です。
でも「結局そこなのかい」と落胆することはありません。
もちろん実際に書く、という努力は必要ですがその前にできることがあります。
それは「何を書きたいか」ではなく「何を言いたいか」を明確にすることです。
先ほど会話やコミュニケーション技術は勝手に向上する、と言いましたが、それは喋ったり話したりは誰でもできるからです。
当然と言えば当然ですよね。言葉で意思表示をしなければ生きていくのは難しい。
「言いたいこと」「喋りたいこと」はみんなある。言いたいことがあるから喋るんであって、そもそもその部分が存在しなければ会話やコミュニケーションなんて必要最低限しか取ることはないですよね。
「書こう」とするから書けない。
ちゃんとした文章を書くにはそれなりに技術や経験が必要です。でもそれをいきなりやろうとするから書けないのです。
技術や経験を無理やり意識して書いた文章は、のっぺりとした内容になって全く面白くなりません。
小難しい漢字や横文字を羅列してあるだけで全然読む気になれない文章は数多くあります。
書き方に悩んだときは「話してる(喋ってる)つもりで書く」ーーーこれを意識してみてください。
さきほど申し上げた通り、喋ったり話したりすることは難しくない。
文章が話し言葉になったっていいんです。それが今まさにあなたが「言いたいこと」なんだから。
自分の感情に自信を持っていいんです。
相手への伝え方や伝わり方なんて二の次で大丈夫。
言いたい(喋りたい)ことをまずは文字に起こしてみるのです。
漫才の台本を書いてみる。
私は経歴の都合上、漫才の台本を書いていた経験があります。(これについてもいつかどこかで語れたらいいですね)
いわゆるネタを書くというやつです。
これが非常に良かったのは、感情を上手く文章化できることです。
特にツッコミのセリフなんかは、訂正したり言い換えたり、時には怒りをあらわにしたり、とにかく感情的なものになります。
「違うだろ!」なのか「違うでしょ!」なのか、はたまた「ち〜が〜う〜!」なのか、どの表現が一番感情を伝えることができるのか。それを考えることができるんですよね。
何よりも、先ほど述べた「話してるつもりで書く」ことが意識せずともできます。漫才は会話で成り立っているからです。
いや別に本気でネタを作らなくてもいいですよ。何なら実際に好きな芸人さんのネタの、ボケの部分だけを書き出してそれに自分ならどうツッコむか、を考えてもいい。
大事なのは「自分の言葉で表現する」ことに慣れることです。
真面目な話、この「漫才の台本」を書いてみることは技術的にもとても意義深いです。
文章には必ず「説得力」が必要です。
その「説得力」は、事実を述べることやちゃんとした文献から引用することだけでは付与されません。
自分で自分の文章内に問いかけをしてそれに答えることでもたらされます。
ただ単に事実や書きたいことだけしか書いてない文章は重みがありません。
自分が書いた内容に客観的な視点で疑問を投げかけ、それに対して反応を示す。
漫才の台本を書くことは、この”問いかけ”と”それに対する答え”という形を図らずも作ってくれます。
「文章の中の掛け合い」を練習するにはもってこいなのです。
まとめ
今回のポイントまとめです。
- 「書きたいこと」ではなく「言いたいこと」を探してみる。
- 「文章を書こう」としない。言いたいことを喋るつもりで書いてみる。
- 漫才(っぽい感じ)の台本を書いてみる。
- 文章に説得力をもたらすのは客観的な視点(問いかけと答え)
いかがでしょうか。
書こう書こうとしないことが実は近道だったりします。
書こうせず喋ってるつもりで書いた文章は、一見すると支離滅裂な内容になっているかもしれません。
でもそこにはあなたの言いたいことがいっぱい詰まっています。
ひいてはそれがオリジナリティに繋がるので自分の感情には大いに自信を持ちましょう。(N)