何かと話題を集めているホリエモンの野球新球団「福岡北九州フェニックス」。
【ホリエモン】野球新球団・福岡北九州フェニックス!気になるメンバーや編成は?
このチームの球団社長を務めるのが槇原淳展(あつのぶ)氏。
若干30歳の彼はどのような人物なのか、またどのようないきさつで球団社長の座に就いたのか、そんな疑問を解決していきます。
もくじ
プロフィール
槇原淳展
1990年6月7日生まれ
30歳
広島県福山市出身
福山誠之館高等学校 → 立命館
野球少年だった
広島という地に生まれ、野球に汗を流す一般的な少年時代を過ごしたそうです。
そして必然的に地元球団である広島カープのファンとなり、休みの日には電車で広島市民球場にカープの応援に行くという日々を過ごしていました。
ホリエモンとの出会い
17年前に日本中を揺るがせた「球界再編騒動」。当時中学生だった槇原さんは、広島カープが福岡ダイエー(当時)ホークスと合併するという噂を耳にし慌てふためいたのです。
その最中に話題の中心であったホリエモンに対して、当時は「激しい人だな」という印象を抱いた程度だったといいます。
騒動の翌年…
球界再編騒動の翌年(2005年)、ホリエモンは広島6区から衆院選に立候補します。
今、改めて調べてみて驚いたのですが広島6区でホリエモンと議席を争ったのはあの「亀井静香」氏だったんですね!
まさかこんな超大物議員を相手に勝負を挑んでいたとは…。落選も致し方なしです。
兎にも角にもこのとき初めて、槇原さんの身近なところにホリエモンがやってきたのです。
槇原さんが住んでいた福山市の隣町、尾道にホリエモンが来て、それはそれは大騒ぎになったんだとか。
この時はまだ直接の接触は無し
そうは言っても一介の中学生だった槇原さんと、時の人であったホリエモンが直接接触することはありませんでした。
ただ槇原少年の心に、ホリエモンという存在は大きく強烈なインパクトを残していったことは間違いありません。
その後、槇原さんは地元の県立高校に入学し野球部でプレー。
高校卒業後は立命館大学法学部に進学し、ここでもごく普通の大学生活を過ごすと地元広島の銀行に就職します。
開眼
槇原さんはせっかく就職した地元の銀行をわずか2年で退職してしまいます。
一体何があったのか…
「ここじゃない」
槇原さんは地元の銀行を「ここじゃない」と判断して退職。自分探しの旅へと向かいます。
そこで出会ったのがホリエモンの著書でした。
本のタイトルは明かされていませんが、とにかくホリエモンの行動力に刺激を受けた槇原さんは、好きだった野球に関連して12球団の本拠地をヒッチハイクで回る、というアクションを起こします。
何かをやろうと思い立って、すぐにこうした行動を起こせる辺り、やはりホリエモンと近い何かを元々持っていたのかもしれません。
その後はアルバイトで貯めたお金でフィリピンに単身移り住んだ時期もあったといいます。やはりさすがの行動力と思い切りです。
ビジネスの道へ
帰国後、東京で商売を始めます。最初にやったのは「民泊」でした。お金がないため賃貸物件を利用してのビジネスでした。
しかし法規制が厳しくなり民泊から撤退、中古家電の買い取り、販売を手掛けるようになります。これが思いのほかうまくいき、年収700万円ほどになったそうです。
満たされない思い
ある程度の成功を手にしても、槇原さんの心が満たされることはありませんでした。
どこか「面白くない」。
そんなとき、またしても刺激を与えてくれたのがホリエモンでした。
月1万1千円でオンラインサロンを開設しているという情報を耳にするのです。
「飲み代と思えば安いもの」だと槇原さんは迷わず入会を決めます。
サロンのスタンス
そこで槇原さんは、ホリエモンが言う「生き方改革」という言葉に感銘を受けたといいます。
「サロンメンバーのスタンスが基本『面白いことをしようと』というもので、そのうえで『じゃあ、どうやって稼ごう』というスタンスなんです。普通はまずお金を一番に気にするんでしょうけど、ここでは『面白そう』が一番。
僕も商売をやってそれなりに稼いでいたんですけど、これからは社会貢献とか、そういうところで面白いことをしてみたいなという気になったんです」
と、槇原さんは話しています。
サロンメンバーの“お金じゃない何かを追い求める姿”に共鳴したのではないでしょうか。
そして新球団設立へ
そんな中で迎えた2021年1月、ついにホリエモンが野球新球団立ち上げ構想を打ち出します。
誰か一緒にやってみないかという問いかけに、槇原さんは真っ先に手を挙げたのだそうです。
ほかに手を挙げたサロンのメンバー2人も加わりましたが、いの一番に手を挙げた槇原さんが社長という座に就くことになったのです。
まだ無給
社長といえどまだ稼働も何もしていない状態の球団ですから、当然ですが利益はありません。
もちろん槇原さんも無給です。
それでもそんなことはまったく気にならないと槇原さんは言います。
やる事は山積み
これからは1億円以上と見込まれる運営費を集めるためにスポンサー探しや、来シーズンに向けて球場の手配、実際にプレーする選手の獲得など、やるべきことは山ほどあります。
それでも槇原さんは
ここまで来たら、もう進むしかありません。右も左もわからない不安はありますが、幸せを感じて突き進んでいきたいです。とにかく今は、北九州を盛り上げたい思いでいっぱいです
と語っています。
まとめ
ホリエモンの著書に「多動力」という本があります。
何事も我慢してコツコツと積み上げていくことが美徳とされていますが、ありとあらゆるものがインターネットで繋がった今、求められるのは次から次へと行動を起こす人間である、という本です。
槇原さんの生き方は、思いのまま突き進んだり、すぐに会社を辞めたり転職したり、古い日本人から見たら忍耐力のない、飽き性な行動に見えることでしょう。
ただ、そうした行動力があったからこそ、今の大役を任せられるようになったと言えます。
行動によって得られる経験は、我慢や忍耐で得られるそれより大きいものなのかもしれません。何かとホリエモンの言動は批判を受けますが、こうした若い力を新たに生み出すことには一役買っていると言っていいと思います。
古い日本人の価値観をブチ壊してくれるような球団経営に期待しましょう。