見たい、聞きたい、話したい…
ここにはそれがある。
あした使えるはなしのたね
2020年発行

「薄くて良かった、信仰心」のはなし。2020.04.09

日本人は信仰心が薄いと言われます。アメリカのギャラップ社が2006年から08年にかけて行った世論調査では、日本人のなかで信仰を持っている人間は25%で、対象となった世界143カ国のうち136位という結果が出ました。

「無宗教」とまでは言わないまでも、海外に見られるような強烈な信仰とは程遠い国民性であると言えます。

もはや話題として触れないわけにはいかなくなってしまったコロナウイルスですが、日本は感染者数や死者数において、海外諸国と比較して非常に優秀な数字をキープしています。先進国であっても簡単に医療崩壊を起こすような状況で、ジワジワと感染拡大しながらも何とか日常生活を送れるレベルで踏みとどまっているのは本当にありがたい話です。

これはもちろん政府や自治体の努力の賜物と言えなくもないですが、実際この未曾有のバイオハザードに対してどこの国も手探りの対応を迫られている状況の中、日本だけが突出して有効な対策を講じているとは思えません。

このまま感染爆発を防げるかどうかは分かりませんが、ここまで堪えられたのはひとえに日本人の国民性、信仰心の薄さも一役買っていると思うのです。

インド北部で、新型コロナウイルスに感染したシーク教の指導者が死亡し、この指導者によって ウイルスを感染させられた可能性のある少なくとも1万5000人が厳重な隔離下に置かれているという報道がありました。

この導師は、欧州における感染拡大の中心地となっているイタリア、およびドイツからインドに帰国後、隔離指示を無視して農村十数か所を巡り、説教を行ったと言います。この導師は、どこぞの阿保のような「ウイルスを広めてやる」なんて思想とは真逆、自らの説教で人々を救いたいという、純粋な思いから行動を起こしたのだと思います。

これはもうハッキリ言ってありがた迷惑ですが。そしてまたその説教を、信仰心の厚い人々は聞きに行ってしまう。誰も悪くないのに、結果的に誰もが損をするという、救いようのない事態を招いてしまったのです。

対する日本では、神社の手水舎(お参りの前に手を洗うあそこ)の周囲をロープで囲い、いとも容易く閉鎖しています。国によっては「なんてバチ当たりな!」という声が聞こえてもおかしくありません。

過激な地域ならそれこそ神社に火を放ったりしそうです。でもこの状況ではそれがベストです。神社によっては、水の代わりに消毒液を設置して「これを以て手水の禊とします」と張り紙をしているところもあります。素晴らしいです。

手水の本来の意味は「清潔にすること」ですから、その目的が達成されれば方法は何でもいいんです。この柔軟性の高さこそ、信仰心が薄いことによる強みです。必要に応じて行動の様式を変えられるからです。

日本には礼拝やミサといった儀式的な集まりも一部にしかありませんし、「皆で集まって神に祈りを捧げれば救われる」みたいなことを言い出す人もほとんどいません。根拠のない教えやデマに振り回されて、取り返しのつかないことになるのは馬鹿げています。

何が一番大切なのか、それを各々が判断する強さを、我々人類は試されているのだと思います。(N)