見たい、聞きたい、話したい…
ここにはそれがある。
あした使えるはなしのたね
2019年発行

「平成最後の日」のはなし。2019.4.11

いよいよ「平成最後の日」が近づいてきました。一体何が起きるのか・・・今からワクワクとドキドキが止まりません。

きっといい感じに自分が生まれ変わって、たぶん政治とかのアレが良くなって、経済の何か大事なソレが良くなって、いい事いっぱいなんだろうなぁ―――って、そんなわけありませんよね。

「平成最後の」という言い回しが本当に気持ち悪くて嫌です。けっこうそういう方いらっしゃると思います。

「平成最後」だから何だと言うのでしょう。そりゃ一つの区切りであることは間違いないですが、ただそれだけです。これは別に悲観しているわけではありません。何かを変えたいとか、いい方向へ進みたい、と思っているなら、いちいち区切りを待つな!ということです。

やろうと思っていることや、やった方がいいと思うことなら、明日でも今日でも、今この瞬間からでも、すぐ始めればいいんです。もし5月1日から、何か新しいことを始めようと思っている方がみえたら、失礼ですが断言します。それ、絶対長続きしません。

というか始めることすらできないかもしれません。人間のモチベーションなんてほんの一瞬で消えてしまいます。やろう!やりたい!と思ったその瞬間に始めないと、次の瞬間には「でもやっぱな~」となることなんてザラです。食べたいときが美味いとき、と同じで、やりたいときがやるべきとき!なんです。

人は1日で生まれ変わることなんてできません。それが「平成最後の日」だろうが「地球最後の日」だろうが。長い時間をかけてコツコツと積み重ねたものだけが知識や経験となって人を成長させる―――それが分からないと、無意味な区切りに気を取られ肝心なスタートを切ることが出来ないのです。

あと「平成最後の○○」と聞くといつも思い出すのが中学3年生のときの「10年後の今日」事件です。すごく仲のいいクラスだったので、みんなで卒業文集を書いているときに誰かが「10年後の今日、またみんなで集まってこれを読み合っこしたいな」と言い出しました。

それに対し私は「いや今日は今日でしょ。10年後の今日はもう今日じゃないよ」と言ってめちゃくちゃその場をシラけさせた記憶があります。ソイツの言いたかったことは分かりますが、今でも私は間違ったことを言ってないという自信があります。

「今日」という日に意味があるんではなくて、それまで積み重ねた日々の中で培われた思い出や関係性、そして10年という時の流れの中で新たに積み重なる「今日」という1日の繰り返しにだけ、意味があるからです。大げさで軽薄な理由をつけて切り取られた只の一瞬をやたら重々しく取り上げる連中が、「平成最後の日だ~」とか言って「グッバイ、平成!」とか書いた自作のメッセージボードと一緒に写った自撮り写真をインスタに上げたりするんです。

平成最後の日もインスタやるなら結局いつもと一緒やないかい!―――ローマは一日にして成らず。たとえそれが時代が変わる日だとしても、わずか24時間の時の経過に、大きな意味を持たせようとするのはやめましょう。(N)