4月2日、「世界のサカモト」こと坂本龍一さんがこの世を去っていたことが分かりました。
その功績の凄まじさはもはや言わずもがな。音楽界や芸能界からは追悼の声が相次ぎ、多くの人がその死を悼んでいます。
しかし、音楽家として歴史に残る人物であることは疑いようがないですが、その人間性に関してはあまり褒められたものではないことも明らかになっています。ネット上でも…
- 坂本龍一が聖人君子みたいな扱いは違和感
- 天才だけどネジは飛んでる
- かなり暴力的だったからな、この人
などの声が挙がり、世間の認識とは違う意外な一面も持ち合わせていたことがうかがえます。
この記事では、知られざる坂本龍一さんの負の部分を掘り下げてみたいと思います。
もくじ
坂本龍一さんの意外な一面に関する世間の声
Twitter上でも「その音楽性は認めるけど人間性は…」という声が多いですね。
坂本龍一クズエピソード
それでは、坂本龍一さんのクズエピソードをご紹介していきたいと思います。
エピソード①運転手をボコボコ事件
坂本「売れっ子で調子に乗っていた、若い頃の私は、気にくわないことがあると、運転手に対し容赦なく殴る蹴るの暴行を加えた 。
私からの、理不尽な暴力に耐えかねて辞めていった、お付きの人たち、ゴメンね」
↑は坂本さんご自身の発言なので事実なのでしょう。
誰しも若い頃は血の気が多いものですが、いくらなんでも理不尽に人を殴るのはやり過ぎです。
この件に関しては他に出演したテレビ番組でも
「マネージャーや運転手がすぐ辞めちゃう」
「運転手とかが道間違えたりしたら後ろからテメー!って首絞めたりしちゃうんだよね」
「運転手がコロコロ入れ替わっちゃって中には出家する人とかもいて」
と笑いながら喋っていたという話も…
かなりヤバいです。
エピソード②坂本美雨さん虐待事件
坂本龍一さんの実娘・坂本美雨さんは、父親に関する幼少期の思い出としてこんなことを語っています↓
私の父親も昔はとても激しい人で、時には怒りに任せて手が出ることもありました。
私が悪いことをしたから叱っていたのか、父自身のイライラをぶつけていたのかわからない時もあり、そういう時はただ父の威圧感に怯えていたような気がします。
(婦人公論 2018年7月24日号)
坂本龍一さんの暴力は我が子にも及んでいたようです。これも相当に闇の深い話で、時代が時代なら、というか今なら逮捕案件ですよ!
ちなみににその後、美雨さんが大人になってから抗議したら
「ごめんね、えへへ」
と、軽〜く返されたとのこと…。えぇ…
エピソード③ガラスケース破壊事件
坂本「こんな出来事がありました。
新宿でライブをした後、翌朝まで飲み明かし街を歩いていると、喫茶店のガラスケースがふと目に入った。
その中にあるスパゲティやパフェなどの食品サンプルがホコリだらけで汚れていたので、僕にはどうしても許せず、いきなりガラスを蹴りつけて壊してしまった。
『よし、これで世の中から醜いものを消し去ったぞ』なんて意気揚々と歩いていたら、器物損壊で警官に捕まったんです。
酔っ払っての行動とはいえ、これはただの犯罪行為であり擁護のしようがありません。そしてまたそれを「若かりし頃の武勇伝」的なノリで回顧しているのが何とも…。
昔ヤンチャしていた人間が、当時の行いを周囲に自慢げに語る話ほど、つまらないものはありません。
エピソード④焼肉弁当事件
坂本「ずっと懇意にしている弁当屋があって、いつもそこの店の焼肉弁当を頼んでたんだけど、ある日、僕の付き人がそこの弁当屋が空いてなかったらしくて別の店の焼肉弁当を買ってきた。
別の店の、しかも焼肉弁当(笑)。もう、その場でぶん殴って弁当投げつけてクビにしました。周囲にも今後そいつを使うなよってちゃんと釘を刺しておいて。
その後、そいつが土下座してもう一度付き人やらせて欲しいって来られましたけどもちろん断りました。はっきり言ってそういう奴は一生いい仕事が出来ませんから」
とにかく気に入らなかったらぶん殴る…もはやジャイアン並みの理不尽さです。
少なくとも若い頃の坂本さんは、”教授”と呼ばれるような落ち着いた人物ではなく、相当イカれていたと言えます。
常人には理解しづらい感覚の持ち主
坂本さんの発言には以下のようなものもあります。糸井重里さんとの対談の内容です。
坂本: あのね、僕はね、ちょっと音楽に関係ないんですけど、ジャージをはいてる人が嫌いなんです。ジャージに近いのは、学生の時に、学生食堂で一人でご飯食べてる人いるわけ。男とかで。きちんと食べてるんだけど、それを見ると僕、すごく不愉快なのね(笑)。
糸井: ああー。
坂本: それはやっぱりさ、その、自分の生活みたいなのを、露出させてる感じがするわけ。
糸井 :見せちゃって。
坂本 それは、他人に対して無遠慮だなと思うのよ。
糸井: あ、その感覚はすごいね。
坂本: わかるでしょ? でも。
糸井: わかるけど、俺は、それは許すからさ。何でも許すから。
坂本: 許しちゃう?
糸井: つまり、見せてはいけないはずのものを、見る側の気持ちにもなれよ!
ってことでしょ?
坂本: そう。見たくないのに、強制的に見せられてる。他人の気持ちも考えてくれと。
ちょっと何言ってるか分かりません。この辺りの感覚は凡人の私にはよく理解できないのでしょう。しかしこうした独特の感覚こそが、彼が天才である所以なのでしょう。
ただ、だからと言って人に暴力を振るっていいというわけでは当然ながらありませんが。
晩年は音楽家というより…
晩年の坂本龍一さんは、音楽家としてよりも活動家として名前を聞くことの方が多かったように思います。
メディアでは最後の最後まで音楽を作り続けたように報道されていますが、そこまで音楽一辺倒の生活ではなかったはずです。
目立った政治的発言
坂本龍一さんは晩年、かなり政治的な発言を繰り返していました。
↑のように、安保反対の集会や反原発のデモに参加していることからもそれは分かるかと思います。
アメリカ批判の発言も
坂本:アメリカ人は「自分たちは個人主義的だ」と信じているけれども、実はものすごく洗脳されている、マスメディアによって。
だから、個人主義だとかいいながらも結局はみんな同じことを喋って、そのバリエーションも3つくらいしか無い。
でも洗脳されているとは思っていなくて、自分の意見だと思っているっていう。宗教の役割ってまさにそういうことであって。
自ら望んでアメリカに移住していながらこの言い草もなかなかです。その発言は宗教観にまで及んでいます。
もちろん思想や理念というのは個人の自由です。
しかし世界的な評価を得た人物が、政治的な発言を頻繁にしたり、特定の国の人を批判したりするのは、どうにも残念な気持ちになります。
こうした彼の姿を見て「晩節を汚した」という声が挙がるのも頷けます。
“天才はどこかネジが外れている”を地で行く人
坂本龍一さんが残した作品やその影響力を考えると、彼が天才であったことには疑いの余地はありません。
しかしよく言われるように、
天才はどこかネジが外れている
という格言を、地で行く人だったと思わされます。
そしてネジが外れていることによって被害や迷惑を被った人たちもきっとたくさんいるのでしょう。がんにより苦しんで苦しんで逝ったのも、天罰が下ったというのは言い過ぎでしょうか…。
故人を悪く言うのは良くないですが、死去してすぐにクズエピソードがこれだけ出てくるということは、彼が決して聖人君子ではなかったことを物語ります。
しかしそれも「天才・坂本龍一」を形作る要素の一つであり、彼がそうした人間であったからこそ、あれだけ多くの人々の心を揺さぶる音楽を生み出せたのです。
ここに挙げたエピソードが彼の音楽家としての功績を汚すようなことはないのです。
坂本龍一、実は「かなり」ヤバい人!でもそれこそが天才の証明
天国へと旅立った稀代の音楽家・坂本龍一。彼にまつわるクズエピソードの数々をご紹介してきました。
坂本さんは若かりし頃とはいえ相当暴力的な人物であり、世間一般の知的で落ち着いたイメージとは程遠いということがお分かりいただけたと思います。
ですが、歴史に名を残す人物というのは得てしてそういうもの。
むしろ、常人には理解できない言動こそが、坂本龍一が天才であったことを証明しているのです。
彼の人間性がどうであれ、まだまだ我々を感動させる音楽を生み出してほしかったです。心から、ご冥福をお祈りします。