まだ私が幼稚園児だった頃、とても楽しみなことがありました。
それは「おじさんとこの焼きそば」を食べることです。
「おじさんとこの焼きそば」とは当時私が住んでいた家の近所にあった駄菓子屋さんのような店で、
店主のおじさん、というかもうおじいさんですね、が焼いていた焼きそばです。
もちろんそんな大きな店でも何でもなく、正直何をメインに商売していたか分からないような小さな小さな店でした。
おじさんは鉄板の上で荒々しくササっと焼いて、ビニールの上にドサッと乗せ、汚ったない新聞紙で無造作にくるんで赤いマジックで「ブタ玉」とか「イカ玉」と殴り書きして渡してくれるんです。
ただまあこれが今まで食べた焼きそばの中でも断トツで美味い。
これを超える焼きそばに出会うことはもう生涯ないでしょう。思い出補正と言ってしまえばそれまでかもしれません。
でもその焼きそばは私の中で永遠のナンバー1です。
もう二度と食べることができないと分かっていても、今でも食べたくて食べたくて仕方ありません。
秋田県の「ナマハゲ」は地域の人口の減少や少子化に伴い、その文化は衰退の一途をたどっていると言います。
さらにその衰退に拍車をかけているのが、子供を怖がらせるナマハゲに対するクレームです。
ナマハゲ役を務めているとある高齢男性はインタビューにこう答えています。
「昔はナマハゲの時だけは無礼講で地域の家に押しかけて行ったものだが、最近はコンプライアンスが厳しくてそうもいかない」コンプライアンスを気にするナマハゲ―――ドリフのコントか何かでしょうか。
「もしもコンプライアンスを気にするナマハゲがいたら・・・」ですよ。何でこんなことになるんでしょう。
ナマハゲって鬼ですよ。
鬼にコンプライアンスなんかあるわけないでしょう。もちろん現実には人間が演じていますよ。
でも鬼という設定に大真面目に突っ込みを入れるのは野暮を通り越してマヌケじゃないですか?
巨人の星で、飛雄馬が投げる大リーグボールに「こんな球を投げるピッチャーはいない」と苦情を入れるようなもんです。
アフリカのマサイ族という民族をご存知の方は多いと思います。
その男たちの成人の儀式として「ライオンとの決闘」という儀式が有名です。ライオンとタイマンを張って勝たないと、一人前の男として認められないというものです。
ところがこの儀式も、近年は動物愛護団体からの圧力で取り止められることが多いそうです。
いや、これもね・・・マサイ族に動物愛護の観点を求めるなと。
彼らは自然と共存する生き方を選択した民族なんです。
彼らにとって動物達の存在は、虐待とか愛護とかそういう基準で推し量れるものではないはずです。そこに取って付けたような偽善の思想を押し付けることは実にナンセンスだと思いませんか。
長い歴史の中で生まれた文化、伝統、風習や儀式は、一度失われてしまったら二度と戻ることはありません。
その口惜しさ、無念さはどうやっても拭い去ることができないものです。コロナ禍で何もかもが消えて無くなっていきます。
次々と消えていく飲食店、そしてその店でしか食べられない味というのはまさにその先駆けでしょう。
やがて影響はありとあらゆる国や地域の文化、伝統にも波及するはずです。つまらない苦情やクレームが、その消失を加速させてしまうことがないように祈るばかりです。(N)