「10秒」で何ができるでしょうか?
何もできるわけないだろと思いますか?
私は自分がせっかちだという自覚があります。
10秒待つのが苦痛です。
なので電子レンジで食べ物を温めている時間は2倍にも3倍にも感じます。
見たいテレビがあるのに後ろで嫁がドライヤーをしている時間は永遠のように感じます。
ふと立ち入ったトイレで用をたして、
手を洗って横を見ると、私の嫌いな「エアータオル」しかありませんでした。
手をかざすとブォーって空気が出るアレです。
何で嫌いかというと、あれ全然乾かなくないですか?
結局はハンカチを出して手を吹かなきゃいけなくなる。
その日も舌打ちしながら一応エアータオルを使おうとしたところ、
こんな注意書きが目に飛び込んできました。
「手を入れて10秒ほど、軽く手を動かしながら乾燥させてください」―――
はっ!
そんな10秒ごときでお前に何ができる!
お前はいつも気休め程度に水滴を飛ばして体裁を保つだけのダメ野郎じゃないか。
バカバカしい。
でも今日はそんなに急いでないし、ちゃんと10秒数えて乾かしてみてやるよ。
せいぜい頑張って俺様の手を乾かしてみろや。
どうせビチャビチャのままなんだろ。―――
10秒後―――
めっちゃ乾いてるー!!!
ハンカチを出す必要も全くないほど、私の手は乾いていました。
いつもビチャビチャのハンカチをポケットに戻して次に使うときもまだ濡れてて気持ち悪かったり、
ハンカチを出す度にポケットの裏地が出てきてイライラしたり、
そんな思いを全くしなくてよくなったのです。
たった「10秒」を意識しただけで。
エアータオルの実力をずっと前から知っていた人にとっては何を言っているのか意味不明かもしれませんが、
私にとっては目からウロコの体験でした。
それまでの私はエアータオルに手をかざしていた時間がおそらく2~3秒だったのでしょう。
そりゃあ乾くはずがありません。
じゃあそこで浮いた7~8秒を、何かに生かしたかというと、それもありません。
ただ、急いだだけ。
その結果に何も生まれはしないのです。
この一件で強く感じたことは「10秒で何ができるか?」
ではなく「どんな10秒にするか?」
という考え方をしなければいけないということです。
これから進む10秒に「手を乾かす」という意味を持たせれば、それはまったくもったいない時間ではありません。
むしろそれを急いではいけない。
ちゃんとした結果を得るために必要な時間を、惜しんではいけないのです。
2020年が始まりました。
いい一年になりますように、と初詣で願った方も多いことでしょう。
一年という長い時間すべてを良いものにするには、さすがに神様の力を借りなければ無理です。
でも目先の一瞬一瞬を意味あるものにすることなら、
自分の力だけでも可能です。
所詮、一年だって短い時間の集合体です。
神の力など借りなくとも、
これから進む時間達にどんな意味を持たせていくのか…
それを考えて行動すれば、とんでもなく「実り多き一年」になると思います。
今年も一年、よろしくお願いします(N)