見たい、聞きたい、話したい…
ここにはそれがある。
あした使えるはなしのたね
2020年発行

「何を見ている?」のはなし。 2020/10/08

のっけから個人的な趣味趣向全開ですが女子バレーの選手っていいですよね。

すごく美しい。

バレーボールはもう男子より絶対女子です。

そういう目で見るな!変態!と罵りたければどうぞ罵ってください。

興行としてのスポーツである以上、美しさや華やかさは大きな魅力の一つです。

ただ・・・実際にプレーしているときにすごく可愛く見えた選手が、スポーツバラエティ番組などに出演したとき「あれ?」ってなることないですか。

おそらくテレビ出演に合わせてメイクさんが髪型や化粧や衣装を豪華にしてくれているはずなのに「思ってたのと違う!誰や、この○サイク!」となったことは一度や二度ではありません。

私はこれを「女子バレー選手の誤認」と名づけて「人間が輝けるステージはごくごく限られるものだ」という教訓にしています。

ここで終わると私が女性をただ可愛いか可愛くないかで見るヤツ、というだけで終わってしまうのでここから話を展開させなければいけません。

しょうがなく付け足す話は「私たちは何を見ているか」というお話。

「見る」という行為は我々が日常的に行っている当たり前の行動です。

目に映ったものが見える・・・当然のことすぎて深く考えたことがないと思いますが、実はものを見ているのは目ではなく脳です。

目、つまり網膜は光センサーであり、入ってきたデータを視神経を通じて脳に伝えているだけなのです。

人間が視覚体験をしていく過程で、脳も様々な学習をします。

ものを見ればみるほど脳の神経活動の回路がどんどん出来上がっていき、やがて目に入ってきたデータを瞬時に計算して知覚につなげます。

例えば車を見て「あれは車だ」と認識するのは、目ではなく脳です。

目に入っているのはその認識のためのデータに過ぎません。

錯視や錯覚というのをご存知かと思います。

角度や影のつけ方によってそこにないものが見えたり同じ色が違って見えたりするアレです。

これはつまり、目から入ったデータを脳がそれまでの経験則から割り出して「そこにそうあるはずのもの」と認識した結果です。

脳で処理ができないということではなく経験から導かれる結果なので、いくら脳を鍛えても、種明かしを聞いた後でもその認識をやめることはできません。

「女子バレー選手がプレー中に可愛く見えるのは錯覚だ」というドイヒーなことを言いたいわけではないのでご安心ください。

むしろ真逆です。

人間は当然ですが「まっさら」な状態で生まれてきます。

女性に関して言えば、化粧をしたり着飾ったりしている状態の方が「普通でない状態」なわけです。

全力でプレーしている女子バレー選手はもちろん化粧したり派手なドレスを着たりしていません。

ですがその状態が一番美しい。

なので男性、いや、私個人に限って言えば、女性が何も背伸びせず、ただ必死に頑張っている姿が最も美しい、という認識を経験上持ち合わせていることになります。

派手な化粧や豪勢な衣装という「余計なもの」を身につけている状態は「異常」であり美しくもなんともない。

男性、いや、私個人に限って言えば、女性の真の魅力を目ではなく脳レベルで認識できている、ということが言えます。

さすがです。

派手な飲み屋のネーちゃんにコロッと騙されるような輩は、私の爪のアカでも煎じて飲むべきです。(N)