見たい、聞きたい、話したい…
ここにはそれがある。
あした使えるはなしのたね
2018年発行

「ヒーローになるとき、それは今」のはなし。2018.01.18.thu

我が家は娘が2人なのでめっきり見る機会がなくなってしまいましたが、

やはり男にとって正義のヒーローというものは大人になっても憧れを抱く存在です。

私にとってヒーローの二大巨頭は「仮面ライダー」と「ウルトラマン」。

世代を超えて愛される、日本を代表する正義のヒーローと言っていいでしょう。

年末年始に時間があったので、

レンタルDVDでアメリカンヒーローの代表格「スパイダーマン」を見たのですが、

すごいCGだなぁ~と思うだけで、仮面ライダーやウルトラマンを見るときのワクワク感は全く感じられませんでした。

アメリカのヒーローってどこか薄っぺらく感じるんですよね。

ファンの方には大変申し訳ないですが・・・。

そりゃ子供の頃から見てるわけじゃないんだから当然だろ、と言われてしまえばそれまでですが、何かが違う。

考え出した理由その①、変身がただ「着替えるだけ」。これは大きいですよ。

スパイダーマンはコスチュームを着るだけ、スーパーマンはスーツを脱ぐだけ。

いやいや、アッサリしすぎでしょ。

ヒーローの変身は子ども達にとって、絶対に真似したい最大の見せ場のはず。そこが服を着脱するだけって・・・。

理由その②、なぜヒーローになったかにドラマ性がない。

仮面ライダーは改造人間です。

人並み外れた身体能力と頭脳を持った本郷猛が、悪の組織に目をつけられ改造人間にされてしまいます。

しかし脳を改造される前に脱出し、自分が人間でなくなってしまったことに苦悩しながら悪と闘う決意をするのです。

ウルトラマンは科学特捜隊のメンバーであったハヤタ隊員を、怪獣を追って地球にやってきたウルトラマンが事故で死なせてしまうところから始まります。

いきなり主人公が死にます。

しかし自分の責任でハヤタを死なせてしまったウルトラマンはハヤタに自分の命を分け与え一心同体となり、

地球の平和を守るために闘うことになるのです。

この辺りの設定はもうドラマ性の塊です。

対するスパイダーマンは、

ある日 普通の高校生が研究所で実験中のクモに噛まれたことで壁に貼り付いて移動する能力を得た・・・ってなんじゃそりゃ!

脈絡が無いにも程があるぞ!もっとちゃんと考えろ!

スーパーマンも、クリプトン星生まれの宇宙人が人間に紛れて生活している、という設定。

そもそも宇宙人やんけ!そら強いわ!

どちらも鼻クソほじりながら考えたような浅はかさです。

さてここで急に話がマジメになるので鼻クソほじるのを止めてください。

アメリカのヒーローの設定の甘さが良い影響を与えていることもあるのかなと思ったりもします。

それは「誰でもヒーローになれる」という意識を子ども達に植え付けることに成功しているのではないか、という点です。

日本のヒーローは設定が仰々しすぎて「ヒーローと自分」の間にくっきりと境界線があります。

ところがアメリカのヒーローはもともとただの高校生だったり、スーツを脱ぐだけで変身したり、

ヒーローになるハードルが随分と低いように感じます。

もちろん本当にスパイダーマンやスーパーマンになれると思って大人になる人はいないでしょうが、

スポーツやビジネスで活躍する人も「ヒーロー」と考えるなら、

輝かしい自分の成功をイメージし挑戦することに抵抗を抱く人が少ないということが言えるかもしれません。

そしてそれがアメリカの高い「起業率」に繋がっている、というのはこじつけでしょうか。

人間、挑戦することをやめた途端に人生がつまらなくなります。

そして何かに挑戦するとき「俺ならできるかも」と思ってやるのと「どうせダメだろうけど」と思ってやるのとでは、結果が全然違ってきます。

仮面ライダーやウルトラマンにはなれなかったけど、

あなたが「なれるかもしれない」ヒーローを今から目指すのも、きっと悪くありません。(N)